割って入った第三のガラス起源説
エジプト説とメソポタミア説の大論争の結果、メソポタミア説に傾いている風潮に割って入ったのがシカゴ大学のレオ・オッペンハイム教授でした。かれは大胆にもガラスの起源は北部シリアのフーリア人による起源論を主張しました。
その理由は、トルコの小さな村ボガズキョイで発見されたガラスに関する用語が、先出の古代エジプトの文章や中期バビロニアの文章の中にも使われているため、この地こそが起源であると考えたからです。さらに、古代ローマ時代に記述された「博物誌」にも関連する文献がと独自の主張を展開しました。
「博物誌」は西暦77年に古代ローマの博物学者ガイウス・プリニウス・セクンドゥスが博物学の視点から叙述した著書。ガラスの起源に関する古代シリア商人にまつわる以下のエピソードは、ガラスの歴史を調べる者がかならずたどり着く文献といえるほど有名です。
中略 その昔、天然ソーダを商う商人たちの船がこの海岸に入った。そして、食事の用意をするために、彼らは岸辺を見まわした。しかし、大鍋を支えられるようなかまど用の石がなかなか見つからなかったので、彼らは積荷のソーダ塊を取り出して、その上に鍋を乗せた。そのソーダ塊が熱せられて、砂浜の城砂とうまく合わさったとき、あの見たこともない半透明の液体が、何本も筋をなして流れだしてきた。これが、ガラスの起源になった。(博物誌(第36巻第65項 抜粋)
ときとして、偶然の組み合わせが歴史的産物や世紀の大発明につながることがあります。この著によれば、ガラスもまた偶然の産物であったと説明しています。さて、真実はどうなのでしょうか?
この「博物誌」は全37巻にわたる地理学、天文学動植物や鉱物など自然界のあらゆる知識に関して記述された書籍であり、現在でいうところのエンサイクロペディア自然版ほどの大作です。すぐれた観察に基づく科学的説明がある一方で、怪獣、巨人、狼人間などの非科学的な内容も多く掲載されていました。このガラス起源説も信憑性がかならずしも担保されている事実とは言えないかもしれません。
後に学者による地質調査や砂上でのガラス生成実験などの結果、「博物誌」に叙述のとおりガラス生成の可能性は証明されたものの、出土した年代の点や地域性の偏りなど諸説疑問が残る部分も否定できず、このガラスの偶然の誕生話は、ロマンある古の創作と考えられているようです。
ガラス起源説の結論としては、メソポタミアにガラスの製造技法が実在していることや、各種様々なガラス製品が紀元前2000年代以降に多様化していることから、メソポタミアがその起源であると考えるのが妥当といえるでしょう。